ビジネスパーソンにオススメの小説・思想書をご紹介するこの企画ももう4回目。
今日は宮本輝の「私たちが好きだったこと」をご紹介します。
宮本輝と村上春樹の共通点
管理人が好きな作家はたくさんいるのですが、宮本輝と村上春樹は両方ともよく読みます。
村上春樹についてはどちらかと言えば初期の長編が好きで、宮本輝は全てを読んでいるわけではないのですが、人生に落ち込んでどうしようもなくなった時、この二人の本を黙々と読みふけったことがありました。
正直その時はプライベートでかなり辛いことがあり、朝目を覚ますのも辛いぐらいで何もする気が無かったのですが、この二人の小説だけは読めたし読みたいと思えたのです。
はっきり言って、好き嫌いで言えば漱石やチャールズ・ブコウスキーなんかの方が好きなのですが、それでも人生が嫌になって何もする気になれない時、寄り添ってくれたのは村上春樹と宮本輝でした。
これはなぜかと言うと、村上春樹と宮本輝は手を替え品を替え「喪失と再生」というテーマを書き続けているからではないかと思うのです。
村上春樹と宮本輝が描く「喪失と再生」
村上春樹と宮本輝、両者が書く作品に出てくる主人公(あるいは重要人物)の多くに共通するのが「過去に大切な何かを喪っている」あるいは「最近、大切な何かを喪った」ということです。
それは家族であったり友人であったり夢や目標のようなものであったりするのですが、村上春樹と宮本輝が描く主人公はそんな大切な何かを失くし、喪失感を抱えたまま日常と非日常の境目を行ったり来たりするのです。
そして、「失くしてしまったもの」とは違う何かを手に入れて日常に還っていく。
「失くしたものを取り戻す」のでもなく、「何も手に入れることができない」のでもない。
失くしてしまったものは還っては来ないのですが、それでも傷ついた心を抱えながら何かを手にし、主人公たちは日常に帰っていくわけです。
これが恐らく、人生が辛くて仕方ない時に村上春樹と宮本輝だけは読めた、という理由ではないかと思うのです。
なぜなら我々の日常というのは、喪失と再生の繰り返しであるからです。
(熱心なファンの方からは「そんなことはない」と言われてしまうかもしれないのですが、これも一つの読み方ということで)
「私たちが好きだったこと」で描かれる喪失と再生
宮本輝の「私たちが好きだったこと」では、主人公が大切なあるものを失くしていきます(ネタバレになるので書きませんが)。
その中で日常から逃れ、逃れた先で何かを見つけることで日常に還ってくる。
作品としては御都合主義に思えるかもしれません。
しかし我々が生きるということは、大切な何かを失くし、そして新しい何かを手に入れることで回復して日常に還っていくということの繰り返しであるはずです。
管理人はもうすぐ40歳ですが、周囲を見回すと年齢的にも親が病気になったり亡くなったりが始まっています。
昨年は高校時代の同級生がガンで亡くなりました。
もちろんまだまだ若いつもりでいますしビジネスパーソンとしてはこれから、子供の成長も楽しみなのですが、学生時代とは違って「失うこと」が少しずつ増えています。
だからと言って失くしたものを取り戻すことはできない。
かと言って人生を降りてしまうわけにはいかない。
人生に疲れたとき。
大切な何かを失くしてしまったとき。
宮本輝「私たちが好きだったこと」を読むと、「そうだ、自分も生きていかなければならないし、生きていけるんだ」という思いを抱かせてくれます。
それでは今日はこの辺で。
明日は「定期的にキャリアの棚卸をすべし」を予定しています。