いよいよ明日で平成も終わり。
短いようで長かった31年を管理人なりに振り返ります。
平成とともに生きて
いきなり個人的な話から始めますが、管理人は昭和57年(1982年)の生まれです。
この年の生まれは、小学校入学が平成元年というある意味ではとても歴史的な年代に属しています。
物心ついたときにはちょうど平成が始まっていたというわけで、「昭和生まれという意識を持ちながら、なおかつ平成とともに生きてきた」最後の世代かもしれません。
ちなみに管理人には四つ下の妹がいるのですが、彼女は昭和生まれながら昭和生まれという意識はなく、自分たちは平成世代だという意識があるそうです。
管理人の周りだけかもしれませんが、同学年の友人に聞くと「俺たちは昭和世代だよ」と言いますし、逆に妹と同学年の人たちは「自分たちは平成世代だ」と言う。
たった四年の差でも大きな意識の差がある。
それはそれとして、管理人は「自分は昭和生まれである」と意識しながら、それでも人生の大半、物心ついてからのほぼ全てを平成とともに生きてきたわけです。
馴染めないままだった「平成」
そんな管理人ですが、有り体に言えば平成よりも昭和の方が馴染みがあるというのが本音ではあります。
自分が生まれた昭和という時代に比べ、平成という時代は何だか自分の時代だったような気がしないのです。
それは多少なりとも、ことあるごとに記入する生年月日で「昭和」という欄に丸をつけたりチェックをしたりし続けてきたからということがあるかもしれません。
そんなことは考えたこともありませんでしたが、恐らく今まで生きてきて生年月日を記入する際、膨大な数の「昭和」にチェックをし続けてきたはずです。
自分は昭和生まれなのだということを無意識下で植え付けられながら過ごしてきた31年だったような気がしてなりません。
だからこそ、平成という時代は自分が「過ごす・通過する」時代ではあっても、自分が「属する」時代だという意識を持てなかったのでしょう。
密度が濃かった平成
31年という年月が長いか短いかは意見が別れるでしょう。
長かった昭和に比べれば半分以下ですが、それでも平成元年に生まれた赤ん坊が会社に入って10年近く経つわけです。
そう考えると一概に短いとは言いかねます。
その中でやはり思うのは、平成という時代の密度の濃さです。
密度が濃いというと良いことのようですが、そうとばかりは言えません。
大きな事件も多かったですし、甚大な被害を出した天災も何度もありました。
テクノロジーが目まぐるしく変化したのは事実ですが、変化のスパンが短くなりすぎ、日本という国が「ラクさ」「簡便さ」ばかりにフォーカスするようになったのではないか、という疑問は消えません。
(続く)