平成の終わりに 続き

今日で平成も終わり。

昨日に引き続き、平成時代を振り返ります。

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インターネットの発展とともに

昨日も書いたように、管理人(昭和57年生まれ)は平成とともに歩んできた世代だと言っても過言ではありません。

もちろんそれ以上の年齢の方も平成の始まりから終わりまで見届けてきたわけですが、物心ついた頃に平成になり、多感な時期を過ごしてきた身としては、この世代が平成とともに歩んできた世代なのだという気持ちがあります。

 

そんな中で我々は多くの物事を経験してきました。

平成時代といえばインターネットの発展も大きかったのですが、それは世界的な傾向。

管理人にとって平成時代が「ラクさ」「簡便さ」にフォーカスされてきた感じがするのは、日本という豊かで恵まれた国がインターネットの利益を最大限に享受できたからだともいえるでしょう。

年寄りの昔話のようですが、つい10年ほど前まではスマートフォンも一般的ではありませんでしたしネットショッピングだってさほど発展していなかった。

SNSだって、無料通話アプリだってそうでした。

 

テクノロジーの変化は必ずしも平成という時代に紐づいたものでもありません。

しかしながら平成という時代を形作る重要な要素の一つであることは間違いないでしょう。

 

 

平成の記憶

そして何よりも平成の記憶としてあげたいのが、二つの大きな震災とオウム真理教事件酒鬼薔薇事件です。

特に阪神大震災オウム真理教事件酒鬼薔薇事件は立て続け(といっても二年ほどのスパンがあるわけですが)に起こったこともあり、平成という時代が混迷の時代であることを象徴するような大きな出来事でした。

 

平成という時代があまり良い時代に感じられないのは多感な小学校高学年から中学校にかけてこのような大きな事件があったからかもしれません。

もちろんポジティブなこともあったのですが、J-POPの盛り上がりやたまごっちにアムラージュリアナ東京などなど「時代の徒花」的な物事を思い返してみると、退廃的な時代だったのではないかという感が否めません。

管理人はさほど道徳的な人間ではありませんが、平成という時代が生み出したポジティブなものごとをすぐには思いつけないというのは事実です。

 

令和という時代はどんな時代になるのでしょうか。

平成よりももっと良い時代になるように。

そうしていくのは「誰か」ではなく私たち一人一人の責務なのではないでしょうか。

 

 

それでは今日はこの辺で。

明日は「令和に起こること」を予定しています。