陰徳を積むことは自分を成長させる

目に見える成果を出すのはもちろん大切です。

しかしそれだけではなく、「誰も見ていないところで人のために何かをする」ことは自分を成長させます。

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トイレ掃除の経験

こういうことを書くのは「偉そう」で嫌なのですが、管理人は職場で他のフロアのトイレを掃除したり、共有スペースを掃除したりすることを心がけています。

別に特段すごいことをしているつもりもありませんし、長年続けている内に当然になってはきましたが、始めた頃はやはり何十人もが使うトイレの掃除をすることはイヤでした。

とは言え、男性用トイレというのは汚いものです。

管理人がトイレ掃除を始めた頃に働いていた会社は業者さんが入っていて一日に何度も掃除をしてくれていましたが、それでも便器の下が尿で汚れていることが多々ありました。

クライアントや見込みクライアントも使うトイレだし、何より従業員がトイレに立つたびに嫌な思いをする。

そう考えて管理人は、トイレに行くたびにちょこちょこと掃除をするようにしました。

誰にも頼まれたわけではありませんし、それを評価してもらおうと思ったわけでもありません。

むしろ、「あいつはトイレに行くと帰ってこない」と思われないように急いで掃除をし、そそくさと帰っていました。

それに「善行」というのは何だか気恥ずかしいものです。

それもあって、管理人は「トイレ掃除をしていることを人に気づかれない」ようにかなり気を使いました。

 

 

見られないからこそ意味がある

結果的にはこれが良かったのだと思います。

もしも管理人が「トイレ掃除をして評価されたい」「トイレ掃除をすることで褒められたい」と思っていたら、掃除は続かなかったでしょう。

きっと、誰かに評価されたり褒められたりした時点でトイレ掃除をやめていたはずです。

そうでなかったとしても、掃除をすること自体が目的になってしまい、身の入らない意味のないものになってしまっていたことでしょう。

そうではなく「人知れずトイレを綺麗にすることで、『トイレが汚い』という他者のストレスをなくしたい」という思いを持ち続けられたことが、掃除が長続きしている理由だと思います。

 

陰徳を積むということは文字通りあくまで「陰」であり、人に知られず、見られず、気づかれないからこそ意味があるのだと管理人は思います。

掃除でもなんでも構いませんし、トイレでなくても構いません。

何かしら人に知られないところで徳を積むことで、人としての器は多少なりとも大きくなるのではないかと管理人は考えます。

 

少なくとも管理人は

「自分はトイレを汚さず、綺麗に使うようにしよう」

「快適に過ごせるのは自分が知らないところで働いてくれる人がいるからだ」

ということに気づかされました。

管理人は大した人間ではありませんでしたし今でもそれは同じですが、このことに気づけただけでも少しは成長できたのかな、と思っています。

 

 

それでは今日はこの辺で。

明日はビジネスパーソンが読みたい本」を予定しています。