ビジネスにおいて、常識を疑うことの大切さ

こんばんは。SMEです。

普通・常識・慣習

そんな言葉にとらわれていませんか?

 

 

中小企業で実際にあった「常識」の違い

「あの人、常識ないな~。もちろん採用しないよね!」

管理人が以前採用を担当していた、ある会社での一コマです。

採用面接に来た方が玄関から出て帰られるのを、2階にあるオフィスから覗いていたらしいおじさんが、面接から帰ってきた管理人に言いました。

「ど、どこが常識がないのでしょうか? 私はあまり感じませんでしたが…」

応募者の方は感じがよく、次のステップに進もうと考えていた管理人はおじさんに尋ねました。

「髪が茶色い!」

おじさんは大声で叫びました。

 

 

「常識」とは何か?

確かにその方は多少茶髪ではありました。

とはいえ固い職場でもありませんし、会社ホームページを見れば髪を染めている従業員もたくさんいます。

新卒を採用しているわけでもありません。

そのため管理人としては、多少髪が茶色かろうが問題だとは認識していませんでした。

逆に管理人はそのおじさんに対して、

「なぜ権限もないのに採用について口出しをするのか?」

「面接に来た人を、しかも仕事中に上から観察するのはどうなのか?」

「そもそも面接に来るのに髪が茶色だと非常識なのか?」

と悶々としてしまったことを告白しておきます。

さらに、

「なんでこのおじさん、社歴は俺より長いし年上だけど、役職者に敬語使わないんだろう? 俺は敬語使ってるんだけど…」

と器が小さい思いを抱いてしまったのも事実です。



「常識」の押し付けは「非常識」

これはつまり、おじさんと管理人が思う「普通」「常識」が異なっていたわけです。

どちらが正しいだとか、間違っているだとかではありません。

管理人が必ずしも正しいとは思いませんが、確かにおじさんの言うとおり! とも思いません。

「そう考える人もいるのか」

と勉強にはなりましたが、かといって採用担当者ではないおじさんの希望に基準を合わせることもできません。

管理人目線で言えば

「このおじさん非常識だな」

と感じるのは事実ですが、おじさんからしてみれば管理人の方が非常識なのでしょう。

繰り返しになりますが、「どちらが正しい」ということではないのです。

ただし、あえて言えば「自分の常識が世間の常識だ」と自分の価値観を押し付けることは「非常識」なのではないかと感じます。



多彩な価値観を認めることの大切さ

管理人の実家は山形県です。

山形では団子屋が朝の七時から開いています。

(もちろん店や地域によって多少変わります。なんぼなんでも県下の団子屋が全て、朝っぱらから団子をうっているわけではありません)

みたらしや餡子だけでなく、胡麻や胡桃にじんだん(ずんだ)など種類も豊富です。

気の置けない間柄の友人宅へ行くのであればちょっとしたおみやげにしたりします。

町のお菓子屋さんから団子専門店まで団子屋の数は多い。

へたをすると山形県民、中でも村山地方在住者は朝食代わりに団子を食べたりします。

 

長じて東京に出ると、団子屋はなかなか見かけません。

デパートさんやちゃんとした専門店さんなら手に入るのでしょうが、少なくとも朝の七時から朝食代わりに団子が食べたい! と思ったらコンビニにでも行った方が早いでしょう。

 

結婚と妻の出産を機に越してきた岡山では、そもそも団子屋を見かけること自体ありません。

岡山で団子と言えばきびだんごです。

あくまで旅行のおみやげという位置付けであり、少なくとも管理人は、「お茶請けに食べた」という記憶はありません。

もし人の家に遊びに行ってきびだんごを出されたら、家来にならなければいけないのかと一瞬考えてしまいます。

 

しかしそれはどれも「違い」であって、どれが正しい、常識だ、ということではありません

それは土地土地の文化の違いに過ぎません。

さらに言えば、差異を認めるのがより高度な文化なのではないでしょうか。



常識を疑わなければイノベーションはない

ビジネスパーソンにとって、「常識」は必須です。

しかし、「自分の常識が世間の常識だ」と思い込むことはマイナスにしかなりません

特に同じ業界にずっといたり、あるいは同じ会社に長く勤めていたり、はたまた同じ部署にしかいなかったりすると、自分の常識が世間の常識だと思い込んでしまいがちです。

経理部門と営業部門、制作部門と販売促進部門などで対立が生まれやすいのは、互いに「自分の常識が社内・業界の常識だ」と思い込んでおり、広い視野で見ることができないからです。

長らく銀行の法人営業をしている友人が、

「銀行の常識は世間の非常識」

といつも言っています。

この言葉の正否はさておき、

「自分の常識は世間の常識なのだろうか」

「業界の当たり前は変えられないのだろうか」

「10年前に普通だったことは今も普通なのだろうか」

「今まで自分がやってきたことは、この会社以外でも役立つ普遍性があるのだろうか」

と考えることはとても大切です。

 

自分の常識を疑わないということは、そこから先の思考をやめるということです。

「この価格が当たり前」

「ずっとこのやり方でやってきた」

「業界の慣例」

それは変化を諦める人にとっての、都合のいいエクスキューズにしかなりえません。

常識を疑わなければイノベーションは生まれません。

ぜひ「自分の・自分たちの常識は本当に常識なのだろうか?」と折に触れ考える癖を身につけましょう。

 

それでは今日はこの辺で。

明日は「ダウンサイジングを恐るな」を予定しています。