人が嫌われていく理由は様々ですが、ことビジネスシーンにおいては
「自分自身が思っているイメージと、周囲から見られている・思われているイメージにギャップがある」
ために嫌われる、という構造がほとんどなのではないでしょうか。
「自分は嫌われている」というイメージを持っている人は少ないが…
意図的に部下に対して「怖い上司」を演じていれば話は別です。
しかしそうではなく、ナチュラルに小言を言ったり、嫌味を言ったり、感情のままに振舞ったりしている人は
「自分は嫌われているのではないか」
という懸念を持っていないことがほとんどだったりします。
むしろ、そうではなく気遣いができる人に限って
「あの時の行動は不適切だったかもしれない」
「言い方をもっと考えた方がよかったかもしれない」
「自分は深い考えなしに行動したのだが、◯◯さんは気にしているかもしれない」
などと気に病んでいたりするものです。
(もちろんそれは往々にして取り越し苦労であることが殆どです)
つまり「人がどう思っているか」を気にしている人は周囲から嫌われない。
単純に言って、「視点が自分にあるか・他人にあるか」がキモになるわけです。
「これでいい」と思っている自分像と周囲の認識が違うから嫌われる
周囲に嫌われている人というのは、「自分が周囲からどう見えているか」が分かっていないわけです。
これはつまりは、「自分はこんなことをしても嫌われない」、「自分はこういう言動をしても許される」という(無意識下での)自己認識が、周囲の認識とズレているのです。
世の中にはとんでもない失敗をしても何となく許される人もいれば、非常識なところが可愛がられる人もいます。
逆に、誠心誠意お詫びをすればするほど怒られる人もいれば、人の倍働いても「手を抜いている」と思われてしまう人もいます。
そこまででなくても、同じことを同じように言ってもカチンとくる人もいれば、みんなが笑ってくれる人もいるわけです。
ここにズレがあり、自分では「自分がこれを言っても大丈夫なキャラクターだ」と認識していることが周囲の認識と異なると、当然のように反感を買うわけです。
あるいは「自分はロジカルで冷静だ」と自己認識している人が、周囲からは「あいつは人間の気持ちが分からないやつだ」と思われていれば、当人がいくら「俺はロジカルに説明している」と思っていても、聞いている方は「こいつは本当に人間味がないな」としか思われないのです。
確かに大切なのは本質かもしれません。
しかしながらどれだけ本質が優れていても、周囲がそれを認めていなければ本質を理解してもらうこともできません。
それを避けるためにも、「自分は周囲からどう見えているのか」というのは常に意識していたいものです。
それでは今日はこの辺で。
明日は「間違ったロジックでも、権威があれば否定しにくい」を予定しています。