こんばんは。SMEです。
給料とは何に対する対価なのでしょうか?
給料に対するネガティブな考え方
給料とは何に対する対価なのか? という問いに対してはさまざまな考え方があるでしょう。
よく聞くのが
「給料は我慢に対する対価である」
という考え方です。
しかしこれはあまりにもネガティブです。
「我慢しているから給料がもらえるんだ」と思っていれば上司の叱責や取引先からのクレームには耐えられるでしょうが、仕事に対するモチベーションは上がるはずがありません。
そもそもこの考えでいけば、仕事の内容は何でもいいんだ、ただ我慢すればいいんだ、ということになってしまいます。
モチベーションも上がらなければ生産性も上がらない。
それではせっかく、起きている時間の半分以上を費やす意味がありません。
給料は時間や成果に対する対価なのか?
同様に「給料とは時間に対する対価である」という考え方にも管理人は与しません。
この考え方もやはり、ただ時間だけいればいいんだ、仕事の内容は何でもいいんだ、ということになってしまいかねません。
「自分は自分の時間を切り売りしているんだ」では、「俺は社畜だ!」という考え方から抜け出すことはできないでしょう。
とはいえ逆に「給料とは成果に対する対価である」と言い切るのも不安なものがあります。
この考え方だと「仕事は何でもいい」ということにならず、「その人にしかできない仕事の必然性」は肯定されます。
しかし成果を出していればいいんだ、俺は成果を出しているのだから時間で拘束される必要はないのではないか、と考え出してしまうのは「勤め人」には難しいものがあります。
この考え方はあくまで経営者や個人事業主について当てはまるものでしょう。
給料とは「貢献」に対する対価である
それでは給料とは一体、何に対する対価なのでしょうか。
少なくともどう考えれば、誇りとモチベーションを維持し続けていくことができるのでしょうか。
管理人は「給料とは貢献に対する対価である」と考えています。
あなたが所属する企業・集団に対してどれだけ貢献したか。
その答が給料であると思うのです。
そう考えると我慢だけでは足りないことも、また時間を切り売りしているからお金をもらっているわけでもないことも、成果が出たからといってそこで終わりにしていいわけでもないことも分かります。
もちろん滅私奉公する必要はありませんが、貢献した対価をもらうのだと考えれば成果が出てもさらに貢献しようと思えるのではないでしょうか。
そして「貢献に対する評価が少ない」と思えばロジカルに「自分はどれだけ貢献し、その結果はどうなっているか」を考察することもできます。
ぜひ一度、「自分の貢献と給料のバランスは適正か」を考えてみてはいかがでしょうか。
それでは今日はこの辺で。
明日は「休日の足元はクラークスのデザートブーツが最強である」を予定しています。