こんばんは。SMEです。
以前書いた記事に「もっと詳しく!」というお言葉をいただきましたので、
「二流と一流の違い」 「一流とは何か?」 「二流からの卒業」
について掘り下げて考えてみようと思います。
二流の人
掘り下げて考えたいのはこの記事です。
ありがたいことにTwitterでリツイート・リプライしていただきました。
これ読んでほしい!
— HARUNA hannah. (@han115nah) January 14, 2019
わたし二流だわってグサグサきた😱
ん、?認識したから三流か?😱
トップオブトップになりてえ☝️🌟 https://t.co/FRKoMzYaed
ぐさぐさーってきました!
— HARUNA hannah. (@han115nah) January 14, 2019
わたし二流な気がする!
マネジメント自信ないし、、
二流→一流になるには
が知りたい!
リツイートしてくださったHARUNA hannah. (@han115nah)さんが二流だとは全然思えないんですが(一流)、せっかくですので我々はいかにして「二流」を脱却すべきか? を考えてみたいと思います。
二流になる背景
以前、「ビジネスパーソンは文学を読め」という記事で書きましたが、二流の人というのはテクニックやスキルに流れすぎるきらいがあるように思うのです。
この記事では
- 昔は教養書を読むことが普通だった
- 文学書を読むことは「知識」ではなく「知恵」を養う
- 教養書を読んできた世代には「深さ」がある
…ということを書いていました。
もちろん「二流の人」も本を読みます。
といいますか、二流の人はどちらかというと本を読むことが好きで、読書から知識を得ることに前向きな人が多い。
しかし二流の人が読む本を見ていると、次のような傾向が見て取れます。
- 本質ではなく、必要な知識だけを得るために読書をする
- 分かりにくい原著に当たらず「漫画で分かる●●」「30分で理解する●●」といった本で理解する
これはこれで「効率的に必要な情報を得る」という意味ではいいのですが、あくまで「知識」「テクニック」「スキル」しか身につきません。
優秀な人が二流になってしまう理由とは?
優秀な人が二流になってしまう理由とは、この「知識」「テクニック」「スキル」を効率的に身につけようとするスマートさにあると管理人は思っています。
二流の人は頭がいいので「自分に今どんな情報が必要か」を理解し、必要な情報だけを端的に得ることができます。
行動に「ムダ」がないのです。
社会的な背景を考えれば、若い人たちが「実学」に引かれ、「ムダ」を排除して端的に情報を得ようとするのは次のようなことが理由が考えられます。
- インターネットの普及などより高度情報社会化が進んだ
- そのため必要な情報を効率よく収集することが可能になった
- 半面、「ムダ」に触れることが少なくなった
- 自分のムダのみならず社会のムダ、集団のムダ、他社のムダに不寛容になった
加えて
- 長引く不況や社会情勢の変化により「すぐにお金になるスキル」が重要性を増した
- そのことにより、効率的に情報を求めるサイクルができた
結果として
- 「ムダは悪である」「最短のコストで最大限の利益を産めないことは悪である」という意識が社会に定着した
これが「二流の人」が生まれる原因だと管理人は思います。
二流の人は「ムダ」を嫌う
管理人が高校時代、英語の教師が「電子辞書を使うな」とよく言っていました。
「電子辞書では、必要なことしか覚えられない。
しかし勉強とはそういうものではない。
覚えるつもりがなかった周囲の単語が目に入り、気づきを得る。
その時に役に立たなかったものがいつか役に立つ。
それが勉強というものだ。
無駄を恐れず、紙の辞書を引きなさい。」
確かに端的に情報を得られることは素晴らしいことです。
しかし人生(などと大上段に構えましたが)は枝葉末節の連続のようなものです。
下らないことやつまらないこと、無駄や失敗が積み重なって人格が形成されるのではないでしょうか。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。
99%の努力は、いわば「ムダ」です。
ムダをなくし、努力せずに結果を得るのが最も効率的です。
しかしその「ムダ」がエジソンを有名にし、歴史に名を遺させたわけです。
ムダを恐れていては一流にはなれません。
人の気持ちは「ムダ」か?
確かに会議で時間をかけて反対者を説得する時間は「ムダ」かもしれません。
「白か黒かはっきりさせることが目的だ! そのために30分もかけていられない」
という気持ちも分からないではありません。
結論・結果を出すことが全てであれば、相手の気持ちを考慮するよりも効率化を図った方がよいと考えるでしょう。
二流の人がその30分を避けて相手をロジカルに説得してしまう背景は、まさに「ムダの排除」という思想にある。
極端に言えば「ロジカルな説得をしても理解しない人」ほど「ムダ」なことはありません。
二流の人にとって「短期的にムダを排除して、その時点における生産性を最大化する」ことは疑いもない善なのです。
しかしその30分の「ムダな時間」を使って相手を説得することで、相手も「尊重された」という気持ちを持てるかもしれないのです。
それが積み重なることで、チームとして生産性を上げることができます。
そう考えれば、その30分はムダではないわけです。
このテーマは明日も続きます!
明日は「一流とは何か?」を予定しています。