こんばんは。SMEです。
今日はまた管理人の大好きな「水曜どうでしょう」でカメラ担当ディレクターをしている嬉野雅道さんのインタビューから「リーダー論」を考えたいと思います。
嬉野Dのインタビューから
だいぶ古い記事ではあるのですが、「水曜どうでしょう」でカメラ担当Dとして(今や大所帯になってしまい、カメラは別スタッフが回していますが)活躍されている嬉野Dのインタビューを読み、
「仕事におけるリーダーの役割とはこういうことだ」
と再認識しました。
今日はそれをご紹介したいなと思います。
管理人がお伝えしたいのは、嬉野Dの目を通して見られた「藤村Dのリーダーシップ」についてです。
藤村Dと大泉さんのやりとり
NewsWalkerさんの記事の中で、嬉野Dはチーフディレクターの藤村忠寿さんと大泉洋さんのやりとりについてこう語っています。
敏腕と見えて、藤村くんは、その実態がザルなんだねぇ。言ってるそばからダダ漏れしてる。
そこを現場で大泉洋が鋭く突いてくる。
「おまえ、全部漏れてっぞ」と。「オレの役割は考えてないのか」と(笑)。
そして藤村くんは、本番中に、その自分の根本的な準備不足に気づかされる。
「おっ、漏れてんな」と。
だけど彼は動じない。
その動じなさに大泉洋は安心感を覚えて、早食いの現場に得意の実況を当てて来た。
つまり、タレントが自分の役割に自分で到達して行く。
本番中に起こる、この一連の予想外の展開が、また、どんどん現場を盛り上げるんだよ。
管理人は、「仕事の本質」「マネジメントの本質」とはこういうことだと思います。
これだけでは何のことか分からないと思いますので管理人の意見を述べさせてください。
藤村Dは優秀なリーダーである
ここで語られていることをビジネスシーンに落とし込んで見ると次のような絵になります。
- リーダーは細部まで計画を立てておらず、ビジョンと情熱だけでみんなが動いている。
- 実際に仕事を始めてから、現場でスタッフが「計画の漏れ」「不足」を指摘する
- しかしリーダーは動じない
- リーダーが動じないことでスタッフも安心する
- リーダーとスタッフの間に信頼関係があるので、スタッフが自分自身で「自分はどうしたら集団に最も貢献できるのか?」を考え、実行できる
- それにより、通常想定される以上のケミストリーが生まれる
こう書いてみて改めて感動したのですが、このような「職場」では毎日仕事が楽しくて仕方ないはずです。
仕事とはすべからくこうあるべきだなと管理人は思います。
リーダーの役割とは?
マーカス・バッキンガムが同じようなことを書いていますが、管理人は「リーダー」は情けなくても、かっこ悪くても、誰よりも仕事ができルわけではなくてもいいと思います。
醜態を晒しても、計算ができなくても、時にやる気を喪失しているところを見られてもいいのです。
では何が必要か?
それはビジョンを提示し、周囲に必要とされ、そしてスタッフが「自分はどうしたらこの集団に最も貢献できるか?」を自分で考えるように育てることだと思うのです。
この三つができない限り、リーダーはただの管理者にしか過ぎなかったり、あるいは単なるトップランナーのままであったり、あるいはスタッフと同等レベルの「まとめ役」にしかなれなかったりします。
そして最後は責任を取る。
それさえできれば、シャツがはみ出していようが、毎日カップラーメンをデスクで食べていようが、それこそ藤村Dのように甘いものが大好きな「ヒゲでデブ」だろうが、スタッフは最高のパフォーマンスを上げてくれます。
チームが「想定以上」の成果を出せなければ、チームで働く意味はない
たとえリーダーにどれだけ管理能力と数値の把握能力があっても、
「想定したのと同じ結果を出せました」
というのでは、チームで働く意味はありません。
1+1が3にも4にもなるから、人はチームで働くのです。
「私の計算では3億で着地するはずだったのに、スタッフが優秀過ぎて4億の売り上げが上がってしまいました」
と言えるリーダーこそチームを動かせるのだと管理人は思います。
近年は「サーバントリーダー」(奉仕型リーダー)という言葉が一般的になってきました。
甘いものが大嫌いなミスターどうでしょうこと鈴井貴之さんに甘いものを散々食べさせ、大泉さんに雨の中「お前一人でレポートしてこい」と言い切る藤村Dは「サーバントリーダー」ではないかもしれません。
しかしチームメンバーに「馬鹿野郎」と罵られながらも信頼され、スタッフが最高のパフォーマンスを上げるチーム作りをしている藤村Dは間違いなく優秀なマネージャーだと管理人は思います。
「水曜どうでしょう」を見たことがない、という方はぜひ一度ご覧いただきたいなと願うわけです。
では今日はこの辺で。
明日は「他人の課題に口を出すな」を予定しています。