今日は仕事を離れて、子供との接し方について。
子供を持つ親御さん、「勉強」を強制してませんか?
塾や家庭教師、強制しても意味がありません。
勉強は自分でするもの
管理人は若い頃に塾でアルバイトをしていたことがあります。
何人もの生徒を教えてきましたが、一つだけ確実に言えることは
「勉強は自分でするものだ」
ということです。
これは単に「問題は自分で解きましょう」ということではなくて、
勉強するつもりがない子供をやる気にさせるのは至難の業である
ということでもあります。
確かに無理やり勉強させることも、「今度テストで90点取れたら何か買ってあげる!」ともので釣ることもできなくはありません。
しかしそこに意味はあるでしょうか。
これは言うなればやる気のない部下にビジョンや目的を説くのではなく、「とりあえずやることだけやってくれればいい」と伝えるようなものです。
確かに企業ではそういったこともあるかもしれません。
しかし自分の子供に対して「目的はともかく、勉強だけしていい点を取ってくれればいいんだよ」と伝えるというのは考えただけで虚しいものです。
どこかで子供自身が気づいてくれればいいのですが、そうでない限りその子は「報酬がなければ何もしない」大人に育つであろうことは想像に難くありません。
親の役割は「勉強の機会」を与えること
子供が勉強するかどうか、そしてそれに対して親がどうするかは、アドラー心理学でいうところの「他人の課題」です。
子供が勉強をしなかった結果を親が受け入れることはできませんし、逆に子供が勉強をして成果を出してもそれは親が胸を張ることでもありません。
「うちの子は勉強しない」とイライラしても、子供にとっては関係ない話なのです。
もし「子供が勉強しない」ということで苦痛を感じるのであれば、子供に対し
「自分はあなたに勉強をして欲しいと思っている」
「勉強をすることでこのような未来が開ける」
ということを伝えるしかありません。
ただし子供には子供の人格がありますし、子供は親の所有物ではありません。
子供が親の希望を叶えられないことも往々にしてあります。
結局のところ、親が子供に対してできるのは「子供が勉強したいと思った時に勉強できる環境や機会を与えてあげること」に過ぎません。
好奇心を育てよう
また「学ぶこと」が好きな子供を育てるには、無理に勉強をさせないことが大切です。
管理人は子供の頃から一度も「勉強しなさい」と言われたことがありません。
ただし父が折に触れて本をアホのように買ってくれたため、読書が好きな子供に育ちました。
また中学校になると、気が向くとビートルズのCDなどを買ってくれました。
こうして管理人は読書と洋楽が好きなまま成長し、小中高校と勉強もしないまま、国語と英語だけで入れる大学には通うことができたわけです。
あるいは父が科学の図鑑や歴史書なども買い与えてくれたら理科や社会も好きになっていたかもしれません。
それは分かりませんが、間違いなく言えるのは「本やCDの代わりに勉強を強いられていたら、入る大学が変わっていただろう」ということです。
それが良かったのか悪かったのかは分かりませんが、少なくとも後悔はしていませんし親に感謝もしています。
結局、詰め込みだけで覚えられることには限度があります。
それが向いている人もいるのは事実ですが、基礎学力をつけるには子供自身が興味を持ち、自ら学ぶことが大切です。
そのためには勉強を強制しても百害あって一利なし。
子供の好奇心を育てれば、きっと「自分で考え学ぶ子供」に育つことは間違いありません。
それでは今日はこの辺で。
明日は久しぶりに「管理人の生態」を予定しています。