いいことであっても悪いことであっても。
見られていないはずの行動を人は案外に見ているものなのです。
懇親会でのできごとから
先日、管理人の会社で懇親会がありました。
四月に新卒社員が入社したので、そのお披露目も兼ねての懇親会です。
100名規模の懇親会で管理人は幹事と司会を行ったのですが、転職して二ヶ月しか経っていないということもあり、自分でも至らない点ばかりの司会進行でした。
それはいいとしまして、管理人の会社自体は200名程度の規模なのですが、そうなってくると入社二ヶ月ではまだまだ話したことがない人というのもいるわけです。
司会と幹事をやっているため何も口にできず、乾杯の時にちょっと水分を取れただけだったのですが、何名かの方に
「さっきから全然食べてないじゃないですか、休んでくださいよ」
と声をかけられて食べ物が載った皿を持ってきてもらったり、
「薄着で寒そうだけど大丈夫?」
と気にしてもらったり、あるいは
「SMEさんも入社したばかりなのにずっと動いていて申し訳ないね」
など声をかけてもらったりしたのです。
それぞれのテーブルで談笑も弾んでいたのですが、離れたところでもよく見ているなと感じました。
会社での行動も見られていた
更に驚いたのは、役員に声をかけられた時のことです。
ある役員のテーブルにお酒を持って行った時、その役員が周囲に対して
「みんな、知ってるか? この子は毎朝掃除をしてるんだぞ。」
管理人はそれを聞いて、腰が抜けるほど驚いてしまいました。
管理人が毎朝始業時間の90分前に行って社内の掃除をしているのは事実です。
しかしながら自分からそれを口にしているわけではありませんし、
更には、その役員には自分が掃除をしているところなど見られた記憶がないのです。
誰かが伝えたのか、それにしてもわざわざ役員に「どこの誰々が朝から掃除をしています」などと伝えることもないでしょうから、何かの折に口にしたのかあるいはどこかでその役員が、管理人が掃除をしている姿を目にしたのかもしれません。
いずれにせよほとんどの人がまだ出勤してこない時間帯に掃除をしているため、目に付いていないと管理人は思っていました。
そんな行動さえ目につくということは、悪い行動は誰にも見られていないと思っていても誰かに見られているということでもあります。
社内での行動は、一人きりの時であっても誰かに見られていると思った方がいいでしょう。
それでは今日はこの辺で。
明日は「教えを請うことの大切さ」を予定しています。