「面倒だなぁ、何で水曜に懇親会するんだよ! 週末にすればいいのに」
「12時から打ち合わせかぁ。もうちょっとずらしてくれればいいのに」
「空気を読めない」人の行動、実はその人が「いい人」だからかもしれません。
無理なスケジュールを押し付けられるのは辛い
人はできれば無理のないスケジュールで動きたいものです。
冒頭に挙げた例で言えば、可能であれば懇親会の次の日は休みの方が助かりますし、打ち合わせは12時よりも13時以降にしてくれた方が助かる。
こんな卑近な例でなくても、レポートやら稟議書の提出は余裕を持って行いたいものですし、営業に行くのに「じゃあ、今から来てください」と言われたら「こちらにも都合がある」と感じてしまう。
一日は24時間しかありませんし、24時間あるからといってフルに働ける訳ではない。
普通は2時間も残業をすれば「早く帰りたいな」と思いますし、睡眠もろくに取れない、という状況になると疲れも溜まります。
ましてやそれが完全に他人の都合に合わせてということになるとイライラしたりもするものです。
しかしそれが「相手に悪意がない」だけでなく、相手が「いい人」であるがゆえ、ということもあるので話は厄介です。
「いい人」人は人に迷惑をかけられても意に介しない
相手がいい人であるがゆえにスケジューリングに関する話が通じない、というのは
「お客様が困ってるんだから、無理してでも期日内に間に合わせましょう!」
という話ではありません。
単にその人が「人から迷惑をかけられることを何とも思っていない」可能性もあるのです。
例えば退社時間直前になって、同僚から
「ごめん! 今日中に提出しなきゃいけないものがあるんだけど、終わらないから手伝って!」
と言われたとしましょう。
これに対して、「迷惑だと感じながらも、言うことを聞いてあげる」という人もいるでしょう。
また、「自分は他人に対してそういうことはしないが、自分が他人の役に立つのは嬉しい」と思う人もいるはずです。
同じように「そんなことは全く迷惑ではない」と思う人もいるわけです。
そして「そんなことは全く迷惑ではない」と思う人は、あるいは他人に対して同じことをするかもしれないのです。
人は「自分の視点」でしか物事を考えられない
「普通に考えれば他人にされてちょっと困る言動」に対して、全く意に介さない人もいるわけです。
そういった人は、自分が迷惑をかけられていると思っていない以上、同じことを他人にしたときにそれが人に迷惑をかけることだとは思わないわけです。
「同僚が困っていたら助けて当たり前」と思っていれば自分も同僚に頼むでしょうし、平日の20時から懇親会をして次の日に出勤しても苦にならない人はその日時で懇親会を設定するでしょう。
これはつまり、「他人の価値観と自分の価値観は異なるかもしれない」という視点がないためです。
自分の価値観に疑いを持たなければ、他人に迷惑をかけるつもりなどなくても結果として迷惑をかけてしまうことがあるわけです。
このことはスケジューリングに限らず、社会生活を営む上で様々な物事に当てはまります。
多様な価値観を持てるよう、自分の常識を疑ってみることが大切です。
それでは今日はこの辺で。
明日は「東日本大震災から8年」を予定しています。