考えることはもちろん大切です。
しかしその過程では、大なり小なり「調べる」ことが必要なのは当たり前。
そうなると当然、「調べる技術」によっても思考は変化していきます。
調べる技術の進歩
インターネットが普及し、「調べる」技術もだいぶ均一化されてきたなという感があります。
自分のことを例に出せば、管理人が社会に出て仕事を始めた頃(15年ぐらい前)というのはインターネットの黎明期もいいところでして、「検索エンジンで検索するのが苦手」などという人もザラにいたものです。
それはさすがに「検索の仕方が分からない」というほどではないにせよ、googleやyahoo! で検索するのにも上手い・下手の区別がはっきりしており、必要な情報に簡単にたどり着ける人もいれば、なんぼやっても欲しい情報に到達できない人もいたものです。
まぁ確かに検索エンジン側も進歩しまして、ざっくりした検索でも必要な情報にリーチしやすくなったとはいえ、「◯◯とは」で検索するとそのことについてパッと調べられる、なんていうのはそれこそ15年前位には決して一般的ではありませんでした。
単語の組み合わせ方、例えばエクセルの使い方が分からない時に
「エクセル 関数 カウント」
などと入れるのにも「エクセルのカウント関数」などと入れて欲しい情報が出てこず、イライラしている人がいたもの。
その頃に比べると隔世の感があります。
調べる技術が求められるのはインターネットだけではない
とは言え、「調べる技術」が求められるのはもちろん、インターネットのことだけに限りません。
むしろ、インターネットでの検索に慣れすぎた人がどうやってアナログな調べ方を効率化できるか? というのは個人差が大きく生まれるところです。
逆に言えば
「インターネット上にない情報、データ化されていない情報は調べられない」
という人がいるのも事実。
例えば社内のことで、人に聞かないと分からないことについて、
「データベース化してサーバに置いておけばいいのに!」
というのは正論ではありますが、かといってそれは
「人に聞かなくてもいい」
ということを意味するわけではありません。
インターネットは便利であるのは当然のこと。
しかしながらその便利さにだけ負んぶに抱っこするのではなく、紙や人からしか得られない情報を調べる技術を磨くことも忘れないようにしたいものです。
それでは今日はこの辺で。
明日は「ボールをパスすること・しないことそれぞれの大切さ」を予定しています。