優しすぎて人の人生を背負ってしまうあなたへ

こんばんは。SMEです。

Twitterでのやり取りから、「優しさ」とは何なのか考えてみました。

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マネジメントにも優しさが必要である

確かにTwitterで見た、全く関係ないことから書き始めようと思ったこの記事。

ですがマネジメントにも優しさが必要であるのは間違いありません。

もちろん厳しさも必要ですが、「厳しくして脱落したやつはそこまで」という考え方では人は育ちませんし、何よりそれはマネジメントをする本人をも成長させません。

優しさとは別に部下を甘やかすことでもなければ、部下の言うことを何でも聞いてあげることでも、部下のために上に楯突くことでもない。

では優しさとは何なのか、を考えてみたいと思うのです。

ここからはマネジメントにおける優しさではなく、「優しさとは本来どういうことを言うのか」を考えることになりますが、しばらくお付き合いください。

 

 

「人の役に立つことは優しさである」のか

あえて厳しいことを言えば、「人のために何かしたい」「人の役に立ちたい」という思いは優しさではないと管理人は思います。

それは自己実現です。

もちろんそれは悪いことではありません。

自己実現は素晴らしいことだと思いますし必要なことです。

しかしそれぞれを切り離して考える問題であるのは確かです。

自己実現は他者への優しさではなく、そうである以上「人のために何かしたい」「人の役に立ちたい」という思いは優しさではありません。

 

もう少し突っ込んでいれば、「人の役に立つ」「人のためになる」のには、そこに「困っている誰か」がいなければなりません。

「誰かが困っていること」を前提とした奉仕の気持ちに「優しさ」などないと管理人は考えます(言い過ぎか)。

「困っている人や、助けを求めている人がいなければいいなぁ」というのが「優しさ」ではないでしょうか。

とはいえ、現実的には困っている人も悩んでいる人もいるのが事実です。

そういった際に手を差し伸べたり、相談に乗ったりするのは優しさではないのでしょうか。

 

管理人が思う「優しさ」には二つの条件があります。

一つは「できる範囲で」、もう一つは「相手のために」ということです。

 

 

「優しさ」の条件 その1 「できる範囲で」

まず「できる範囲で」ということですが、誰しも自分のできる範囲を超えて人に優しくすることはできません。

極端な話ですが、給料日まであと一週間あるのに5千円しか手元にない! という時、知り合いに「昨日から何も食ってないんだ。5千円貸してくれ!」と言われて貸してしまうのは「優しさ」ではなく自己実現への依存状態だと言えます。

優しさとは、自分にできる範囲ですることでいいのだと管理人は考えます。

募金を例に出せば、財布の中に1万円しかないのに1万円を募金できるはずはありません。

しかし自分より困っている人がいるのであれば、できる範囲で10円でも100円でも拠出すればいいのです。

 

いくら困っている人の相談に乗ってあげても、その人の人生を代わりに生きてあげることはできないのです。

そうである以上、介入してもどこかで手を離さなければいけなくなる。

相手があなたに依存しきるまで介入した後で放り出すのは果たして「優しさ」でしょうか。

それとも、その人の人生を背負ってあげられるでしょうか。

それは現実的に難しいわけで、そうである以上は「できる範囲」を超えてはならない。

「本来、自分にできないところまでやってあげる」のは優しさではないのです。

 

 

「優しさ」の条件 その2 「相手のために」

これは以前から形を変えて書いていますが、「お前のために」と言いながら持論を押し付けてしまうということは誰しもあるものです。

管理人の例で言えば友人や父が「そんなに転職ばかりしていないで腰を落ち着けろ」と言うこと。

しかしそれで友人や父に迷惑をかけているわけではないのです。

別に愚痴をこぼすわけでもなければ「転職して金がないから貸してくれ」と頼むわけでもない。

相手は「お前のためを思って」と言うでしょうが、アドラー博士風に言えばそれは「私の課題」です。

自分が迷惑もかけられておらず、また相手から頼まれていないのに他人の課題に介入することは、優しさではありません。

それはおじさんが若い人に「お前のやり方は間違っている」と高みから発言しているのと変わりません。

 

「じゃあ相手が辛い思いをするのを見殺しにしろと言うのか!?」と言われるかもしれません。

しかし「相手が辛い思いをするのを見たくない」という思いは、相手のためではなく「自分が嫌な思いをしたくない」という感情が入っていないでしょうか。

極端なことを言えば、相手が辛い思いをしても、本人が納得していればそれは他人がとやかく言う問題ではないかもしれません。

 

この辺りは本当に難しいところがありますが、一度「悩んでもいないことに口出しをする」ことに慣れてしまうと、些細なことまで相手を支配してしまう危険があることは間違いないところです。

 

 

もう一度、優しさについて考えてみよう

何より危険なことは、優しい人たちが他人のために自己を犠牲にしてしまい、その割に相手からの感謝もされず周囲からも評価されず、モヤモヤとした気持ちが残ってしまうことです。

見ているとこういったモヤモヤは自己否定か他者否定に向かいます。

「世の中そういうもんだ」と達観できる人はなかなかいませんし、いたとすれば「できる範囲で」「相手のために」やっている人でしょう。

できる範囲で相手のためにやっていれば、それが感謝されなくても評価されなくても気にするところではないからです。

 

自分の行為は優しさなのか、自己実現なのか。

繰り返しになりますが、自己実現が悪いわけではありません。

 ただ、優しさと自己実現をごっちゃにしてしまうと自分も相手も不幸になりますし関係も悪くなります。

それを避けるためには、「できる範囲で」、もう一つは「相手のために」行動することが肝要です。

 

 

それでは今日はこの辺で。

明日はビジネスパーソンはブログを書こう」を予定しています。