こんばんは。SMEです。
どうでもいいかもしれませんが、管理人の家の浴槽がやたらでかいのです。
いや、家自体は小さく、家族3人がそれぞれの部屋を持ち、あとはリビングダイニングがあるだけの狭苦しい家なのですが、浴槽だけがやたらにでかいのです。
(今日はかなりゆるいです)
浴槽が大きすぎる
管理人の家のすぐ近くにカミさんの実家があるのですが、家庭の都合でカミさんが実家で風呂に入り、夜の食事をすることが多いのです(っていうかほとんど)。
そのため管理人は一人虚しく風呂を磨き孤独に打ち震えながら風呂に入るのですが、その都度
「オレ一人のためにこんなに大量の資源を消費して良いものか。水、ガス、電気。限りある資源を大切に!」
という気持ちになってしまうわけです。
そもそも、この少子化・核家族化の時代に浴槽は大きすぎないでしょうか?
いや、一人暮らしのアパート・マンションだってそうです。
ただでさえワンルームなんて追い炊きができないところが多いわけです。
「うー寒い寒い、今日は風呂に浸かりたい」
と思っても、
「こんな大量にお湯を溜めないといけないのか…」
と呆然としてお湯を張るのを諦める、ということは非常に多いんじゃないでしょうか。
それとも管理人が、「ヴェニスの商人」に出てくるユダヤ人の金貸し、シャイロック並にケチで強欲なだけなのでしょうか?
しかし余ったお湯を洗濯に使うと言っても限度がありますし、だからと言って浴槽いっぱいに張ったお湯をえいやっと流してしまうのはかなりの勇気が必要です(やはり単にケチなのか)。
何もあんなに浴槽が大きい必要はない。
そもそもワンルームなんて部屋自体が6畳とかせいぜい8畳なのです。
だから浴槽もダウンサイジングして、体育座りでもしてぽこんとはまれるぐらいにすれば良いのです。
一人が何とかはまり込めるくらいのお湯の量、ということになりますとまぁせいぜい80リットルもあれば充分なわけです。
なぜ12畳の座敷があって管理人の家の三倍近い立て坪がある祖母の家と、管理人の狭苦しい家の浴槽の大きさがほとんど同じなのでしょうか?
生活のスケールが変わっても風呂のスケールが変わらない
そりゃ管理人が子供の頃はこうではありませんでした。
親戚が泊まりに来て子供同士で風呂に入ったり、友達が来たり、あるいは子供がたくさんいる家庭はみんなで一緒に風呂に入ることも多かった。
だから広い風呂が必要だったわけです。
どうでもいいんですが管理人が幼稚園の頃に、何がどうなったのか家族(父・母・管理人・妹)全員で風呂に入ったことがありました。
管理人が覚えている限り、父母が一緒に風呂に入ったのはこの時だけです。
多分、停電の可能性があるだか何だかでしかたなく入った記憶があります。
父母はそんな夫婦仲じゃなかったので管理人も驚きたまげ、思わず次の日に幼稚園のお絵かきで
「昨日はみんなでお風呂に入りました」
みたいな絵を描いたら、これが廊下に貼り出され、数日後の参観日にほかの母ちゃん達の目に触れることになったわけです。
送迎バスで帰ってきた管理人は先に帰って待ち構えていた母ちゃんにえらい剣幕で怒られ、
「恥ずかしい思いをしたじゃないの! 何であんな絵を描くの!」
と頭を張られたわけなんですが、今冷静になって考えてみると、それぐらいのことで激怒した母ちゃんが悪かったのか、あるいはそんなもんを貼り出した幼稚園の先生に悪意があったのか、はたまたその絵を見て
「SMEさんのおうち、夫婦でご一緒にお風呂に入るの! 仲いいのね! おほほ!」
と笑ったほかの母ちゃん達が悪いのか何とも悩ましいところです。
一つだけ言えるのは、悪いのは純真無垢に絵を描いた管理人じゃないことだけは間違いなさそうです。
あんなに大きい風呂は必要ない
えーと、話が脱線してしまいましたが、とにかく昔は四人家族で一緒に風呂に入ったり、親戚のいとこたちと風呂に入ることも多かった。
そもそも三世代同居や二世代同居も普通であり、家族の数が多かったため浴槽の使用頻度が高かった。
そんな中で浴槽が小さければ、少ないお湯で麺類を茹でるのと同様、すぐにお湯が濁ってしまうわけです。
しかし現代は核家族化の時代であり、せいぜい四人、一人っ子だと三人、DINKS(って今も言うのでしょうか、double income no kids いわゆる子無し世帯)だと二人暮らしなわけです。
また世の中には同性カップルも増えているでしょう。
高齢者だって一人あるいは二人だけで暮らしている世帯が増えているわけです。
高齢者はシャワーだけではなく浴槽に浸かりたいでしょうが、大きい浴槽を洗うのも大変なら、残り湯をバケツで汲んで洗濯に使うのも大変です。
浴槽の大きさは一緒に暮らす家族の人数によって選択できるようにすべきではないでしょうか?
ダウンサイジングを恐れるな
たまたま「管理人の家の風呂が大きすぎる」という話から始めましたが、これは現代日本の大きな問題であると管理人は考えています。
誰が何と言おうが、日本はこれから少子高齢化が進み、人口が減り、経済規模も相対的に縮小していくわけです。
そんな中で「いや、日本経済は停滞していない。国民は今までの生活を維持しよう」というのは大東亜戦争時の大本営発表並みに「現実を無視した根性論」であるとしか思えません。
それはもちろん管理人も「給料が上がらないなんて嫌だな」とは思いますが、どう考えても高度経済成長期並に給料が上がっていく社会というのは望めないわけです。
そんな中、「俺だけは給料が上がるはずだ」と思っていると時代から取り残されてしまいます。
企業についても同じことが言えます。
日本は確実にダウンサイジングの時代に入っているのでしょう。
かつて世界最強だったイギリスやスペインが没落していき、しかし途上国にはならず「それなりの先進国」で踏みとどまっているように、日本も「目立たないがそれなりに豊かな国」になる時代はすぐにやってくるでしょう。
ただそのためには現実を見据え、時代にキャッチアップし先取りする意識が必要です。
恐竜が巨大化しすぎて滅びたように、時代に適応できないまま図体だけが大きくなったモノは必ず滅びるのが歴史の必然だと管理人は考えます。
そうならないよう「大きさ」ではなく「生産性」や「利益率」を重視することで機能的で柔軟な組織を目指す。
そのことがこれからの日本経済界を生き残るために必要ではないでしょうか。
それでは今日はこの辺で。
明日は「管理人:SMEの生態」を予定しています。