我々はいかにして「二流」を脱却すべきか? 〜3 一流になるには〜

こんばんは。SMEです。

引き続き、「一流と二流」の違いについての考察。

今日はいよいよ最終回。

「一流になるには?」を考えていきたいと思います。

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まずは器を大きくする

一流になるために必要なのは「器の大きさ」です。

ミスすると分かっていても任せてみること、時間がかかると分かっていてもやらせてみることが必要です。

二流の人は「時間がもったいない」「生産性が低い」「効率が悪い」と考えてしまい、長期的に人を育てることをしません。

なぜならそれは「ムダ」だからです。

 

しかし、教育とはもともと生産性が低いものなのです。

教育をする側は伴走することしかできません。

実際にタスクを行う(走る)のは、教育を受ける側です。

 

そう考えると、「人が育たない」のは必ずしも教育を受ける側に非があるわけではない。

伴走する側が「どうやったらランナーが少しでも早くゴールにたどり着けるか」を考えるべきです。

「二流の人」が「部下の●●はあれとこれができない」などと正確で厳しい指摘をするのに人を育てられない理由はここにあります。

「育てられない自分」ではなく「育たない部下」に責任を求めるからです。

往往にして二流の人は頭が良くロジカルなので他者への指摘は正確ですし「自分に非がない理由」さえもしっかりと用意しています

しかし、常に「悪いのは自分ではなく他人だ」というスタンスで一流になるのは難しいように思われます。

 

「あの人は走るのが遅いから私が代わりに走ります」

「あの人はゴールまで行けなそうだから代わりの人を入れてください」

では人は育ちません。

そのためにはまず自分の器を大きくし、広く長い視野を持つ必要があります。

 

 

「ムダ」が入らない器は小さい

「器」とは「人としての振れ幅」のようなものです。

一流の人に、「仕事しかしていません。それで精一杯です」という人はいないと感じます。

ゴルフをしていたり、ボランティアをしていたり、地域社会でもリーダーをしていたり、家族サービスもしっかりしていたり、映画を見たりジムに通っていたり自分の時間をしっかり取ってい方が多い。

一見仕事の生産性とは全く関係なさそうな「ムダなこと」もたくさん入れられる器があるからこそ、ビジネスでもたくさんの知識やスキルが入るのです。

 

管理人が見聞きした限りでは、そういった「ムダ」なことをしてきた人は他人の「ムダ」も理解する心の余裕があります。

そうなると当然、部下や取引先の人からの人望は篤くなるわけです。

逆に、「自分がムダなことをしてこなかったのに他人のムダに鷹揚である」という人はいません

それはそうです。

「なぜ自分はこんなに頑張って生産性を上げているのに、ヤマダはタバコ休憩に行って戻ってこないのか? タナカはどうして非効率的なルートで営業に行くのか? そして上司はなぜそれを指摘しないのか?

みんなバカばっかりだ!

という思考になる。

 

しかしヤマダがタバコ休憩に行くのと同様に二流の人も勤務中にレッドブルを飲んだり、タナカが決めた営業ルートはタナカなりに合理性のあるものだったり、上司は上司で「オレ最近怒りすぎで雰囲気悪いから自粛しとこ」と思っていたするかもしれない。

二流の人はロジカルであるがゆえに「正しいのは自分で、他の人は間違っている」と思いがちで、だからこそ二流になるのです。

 

 

「嫌なやつ」に憧れる人はいない

あなたに尊敬する人はいるでしょうか?

いるとしたら、その人は「仕事はできるけど嫌なやつ」だったでしょうか?

恐らく「仕事もできるが人格的にも優れた人」だったのではないでしょうか。

 

人は「嫌なやつ」には憧れません。

人から憧れられない人が一流のわけはない、と管理人は断言します。

誰かが「この人のために働きたい」と思うのは、その人にスキルや知識が豊富だからではありません。

その人自身に魅力があるからです。

そう考えると、知識やスキルもさることながら人としての魅力を養うことが大切なわけです。

いくらスキルや知識・テクニックを身につけようとしても、自身の器に入りきる分しか身につけることはできません。

 

コップに水を入れたとき、水が入っていない「遊び」の部分がなければコップを動かすことはできません。

コップのふちギリギリまで水を入れて運ぼうとすれば、水はこぼれます。

この「遊び」の部分を「もっとギリギリまで水が入るのにムダだ」と思うか、「コップを移動させるためには遊びが必要だ」と思うかは人によって異なります。

コップは自分自身、水は知識やテクニック、移動は変化です。

 

 

人のために働こう

「自分の評価を上げる」ことは必要ですが、集団で働く以上はそれを最優先にすることはできません。

 

集団に求められるのは

「一人が高いパフォーマンスを発揮したが、ほかの人のパフォーマンスを上げられず全体ではマイナスになった」

ということではありません。

「全体をプラスにすること、さらにそのプラスを最大化すること」です。

 

「二流の人」が転職を繰り返してステップアップする理由はここにあります。

二流の人にとっては「集団の利益を最大化すること」ではなく「その時点における集団の利益を自分が最大化させることで、自分の評価を上げる」ことが目的になりがちだからです。

短期的な成果を出してそれをお土産にステップアップする。

「集団のために自分がある」のではなく、「自分のために集団がある」となってしまうわけです。

しかし「私は自分のために働くが、一流として評価して欲しい」というのは無理があります。

 

スキルや知識は「人のために使うもの」だと管理人は思います。

集団で働くとはそういうことです。

 

優秀な管理職が

「失敗したら自分が責任を取るから思い切りやってこい」

と部下に言うのは、人に任せる器の大きさがあり、またミスやエラーがあったとき、部下や会社のためにスキル・知識を使おうとしているからです。

何も「部下のミスやエラーを誘発して、それをリカバーできる自分をアピールしよう」と思っているわけではありません。

 

結局大切なのは心です。

スキルやテクニックはそのために使うものであり、心に先立つものではないはずです。

人を動かすには、まず人の心を動かすことが必要です。

そのためには「知識」や「テクニック」「スキル」だけではなく、自分自身の器を大きくすることが必須です。

人とたくさん話す、意識的にお礼を言う、仕事を任せてみる、絵や映画を見たり本を読んだりする、旅行に行くといった、一見非生産的で仕事には直接結びつかない「ムダ」なことが器を大きくし、人間を魅力的にさせるのではないかと管理人は思います。

 

昔の人は「急がば回れ」と 言いましたが、一流になろうとするには短期的な成果を求めるのではなく、「ムダ」を受け入れる必要があるのです。

 


Twitterでコメントをいただいて始まったこの記事ですがいかがでしたでしょうか。

もしもご意見・ご感想・ご質問・ご指摘などいただけば幸いです。

 

それでは今日はこの辺で。
明日は同じく、ツイッターでコメントをいただいた記事「女性における母親の影響」を元にした「自己肯定感と親からの影響」を予定しています。

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