「いい話」は人にストレスを与える

こんばんは。SMEです。

「努力」「根性」「忍耐」

良い言葉です。

しかしそれが強制性を持つと、意味合いはまた変わってきてしまいます。

 

 

給与とは何か?

給与とは何か? という問いには様々な答があると思いますが、管理人は

「給与とは『貢献』への対価である」

と考えています。

「我慢への対価」でもなければ、「労働時間の提供」への対価でもありません。

それはつまり

「ただ時間内にタスクをこなしているだけでは給料に見合うだけの働きはしていない」

ということでもありますが、逆に言えば

「給与を超える貢献を他者に求めてはならない」

ということでもあります。

貢献が大きいと判断したらそれに見合うリターンを与えなければなりません。

リターンとは給与のアップ(ないし賞与)に他なりません。

しかし企業ではこれが往々にして無視される傾向にあります。

では代わりに何がリターンとして与えられるのか? というとそれは

「やりがい」

というよく分からないものです。

 

 

会社は学校ではない

分かりやすいのが、退職に対する慰留です。

「途中で投げ出すな」

「これをやり切ることにはきっと意味がある」

「最後までやらないと何も分からない」

これはつまり、

「あなたは給与に見合う貢献をしていませんよ」

とロジカルに説得しているのではなく、

「根性が足りない」

「最後までやれば『やりがい』がある」

と言っているわけです。

しかし学校であれば「やり切ること」に意味はあるでしょうが、我々はビジネスをしているのです。

会社は学校ではありません。

効率でも費用対効果でもなく「やり切ること」に意味はあるのでしょうか。

もっと言えば、「やり切ることに意味がある」という説得の仕方に意味はあるのでしょうか。

 

 

我々はビジネスをしている

我々はビジネスをしているわけです。

そうであれば、退職を慰留する時もビジネスの文法で説得しなければ意味がありません

取引先に

「いやぁ、お金は払えないんですが、きっとやりがいはありますよ」

と言われて納品するでしょうか?

結局のところ、それは「ケチ」なのです。

もしも能力が明らかに劣っていて慰留の必要がなければ例え「根性論」だろうが説得しません。

ですから本来であれば

「これだけ昇給させるから辞めないでくれ。会社は君を評価している」

と言えば済む話なのです。

それを

「貢献に見合う昇給はさせたくないが辞められるのも困る」

と無理なことを考えるから、数値でも論理でもなく精神論で説得するしかなくなるわけです。

 

 

やりきること自体に意味はない

管理人も新しい仕事をした際に

「これはどうも、考えていた内容、聞いていた話と違う。このまま続けても、自分がやりたいことには結びつきそうにない」

ということがあります。

恥ずかしながらいまだにゼロではありません。

その場合、管理人は周りがびっくりするぐらいあっさりと撤退を試みます。

もちろん人によっては「最後までやらないなんて」と冷ややかな目で見る人もいます。

しかし、年齢的にも自分のキャリアの方向性的にも能力的にも

「自分に何ができて何ができないか?」

「自分はどの分野で最も能力を発揮できるか?」

「自分は何をしていきたいか?」

ははっきりしているのです。

それがフラフラしたまだ社会人になって間もない若手であれば、とりあえずやってみることは意味があると管理人も思います。

そうでなければ自分の適性も分かりません。

しかし、方向性が自分で分かっているミドル〜エグゼクティブ層に

「始めたことは最後までやりなさい」

というのは、少なくとも「その人のため」に言っているのではありません

ちなみに妻は管理人よりも過激です。

「向いていない仕事なんかする必要がない。それで身体を壊すなんてバカバカしい」そうです。

 

 

論理的思考も数的思考もできない人が「いい話」をする

では誰のために

「途中で投げ出すな」

「これをやり切ることにはきっと意味がある」

「最後までやらないと何も分からない」

という「いい話」をするか? というと、それは

  • 「説得している人自身のため」
  • 「会社のため」

のどちらかです。

それはそれでいいのです。

あくまでビジネスの付き合いなので、

「お前が辞めたら俺が困る」

「会社のためにあなたは必要だ」

と考えるのは当然のことです。

しかし、それならばそう言えばいいのです。

何も「ここで投げ出すのはあなたのためにならない」などと「いい話」にする必要はありません。

論理的な思考も数的な思考もできないため「いい話」に逃げているのです。

 

 

「いい話」にするなら相手のことを知るべし

どうしても「いい話」で相手を説得したければ、相手のことを知るべきです。

「これをやることがあなたのキャリアにつながる」

と言うのであれば、相手がどういうキャリアを積んでいきたいかを知らなければ心に響くはずがありません

逆に言えば、相手のことを知って伝える

「これをやり切ると、君にとってこういうメリットがありキャリアになる」

という言葉は、「精神論」ではなく論理的な説得力を持つはずです。

自分の耳に心地よい言葉は、人にはストレスにしかならない可能性を孕んでいます。

そうならないためには相手を知ることが第一歩です。

 

 

では今日はこの辺で。

明日は「『劣化するオッサン社会の処方箋』に思う一流・二流・三流の違い」を予定しています。